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かよこの活動日誌

527日(金)障害者自立支援法施行から、5年。さまざまな問題をかかえながら、福祉施設などでは、対応を求められています。

 大田区大森西にある大田福祉工場は、身体障害者の方々が、寮生活をしながら印刷工場で働き、自立生活をささえてきた施設です。

 このたび、経営者である東京コロニーの方針によって、来年4月から通所型の就労移行支援に変更するとのことで、これまで、寮生活されていた方々の今後について、本部事務局長さんに伺ってきました。今後も注視していきます。

525日(水)都民の不安にこたえるためにも、党都議団として放射線量測定を行ってきました。今日は、この間都内128箇所で調査した結果、より高かった地点で再度はかることにしました。足立・葛飾・江東・江戸川最後は、新宿百人町ということで、9時からはじめました。

 この間の調査結果をまとめ、報道各位に報告しました。

 15時半、この間の震災・原発事故から、救援復興支援と都内での被害と防災対策などについて総務局長と、福祉局に申し入れをおこないました。

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521日(土)前進座公演の観劇

大掛かりな回り舞台・大道具・役者さんの衣装など絢爛豪華な歌舞伎の世界にしばし浸りました。

520日(金)東京都健康安全研究センターにいってきました。ここには、全都で唯一の環境放射線量測定器の固定モニタリングポストがあるんです。測定場所は屋上で地上から18メートルの位置。いま、原発事故で問題になっているのは、土壌汚染や、地上1メートルなど生活圏のなかでのデーターです。実際、センターでも地上1メートル・50センチでの測定もやってみた結果、その差は15倍であることもわかりました。そうであるなら、都民の不安解消のためにも、もっと、測定場所をふやすことと、低い位置での測定をおこなうこと、なによりも現状を都民にしらせることが重要だと強く思いました。

519日(木)日本共産党吉井英勝衆議員議員から、原発問題と再生可能エネルギーの可能性について、都内地方議員の方々とともに学習しました。

 やっぱり、原発はゼロにむかって、歩みだすしかない。再生可能エネルギーの開発では、さまざまな可能性・経済復興にも繋がる展望がひらけるということを、確信しました。

517日夕~18 党都議団として岩手・宮城・福島3県の東京支援事務所を訪問し、救援活動の現況や課題について、また、各県共産党議員団から、お話を伺ってきました。吉田・大山・かちと事務局1名で行ってきました。

 強行軍でしたが、宮城県若林地区の被災地状況もつぶさに見てまいりました。2ヶ月経ったいまでも、当時の恐ろしい津波の情景が想像できるほど、爪痕がありありとのこり、まだまだ、これからという状況でした。

 今回の実態を踏まえて、東京都に緊急申し入れをおこないます。

Iwate

Miyagi

517日(火)早稲田大学の浜田教授から、大震災の実態から、液状化・津波問題を中心にお話を伺いました。改めて東京都地域防災計画の抜本的見直しの必要性を痛感しました。

516日(月)大山都議とともに、福島からの被災者のみなさんが生活している赤坂プリンスへ、行ってきました。

 最低の生活条件は提供されているようでしたが、被災者の方々は、個別にさまざまな問題をかかえているようでした。小中学生の親御さんは、せっかくなれてきた学校をまた、転校するのは可愛そうと言う訴え。なによりもいつ収束するのか、正確な情報が欲しいなど不安な思いを伺って来ました。

515日(日)久しぶりに池上本門寺朝市へ。

長年続けてきただけに、結構、盛況で活気がありました。

513日(金)大震災後のものづくり中小企業への影響は?ということで、清水区議とともに大田区工連の会長から、お話を伺いました。

 自身の会社は本田技研の被災地にある研究所からの仕事を受け持っていたため、相当のダメージを受けたとのことでした。

 いろいろ伺いましたが、「復興支援のために、家も機械も失ってしまったがやる気のある被災者の方々を一定期間区内の工場で働いてもらうような思い切った支援が必要だ」「再生エネルギー開発のために、中小企業の技術開発に抜本的な支援を」というお話には、展望を開く思いがしました。

512日(木)亡夫の大学時代の先輩で、いろいろな面でおせわになった長谷川さんが、20年来、京都から単身赴任をされていましたが、任務を終えて、このたび帰郷することになり、ささやかな送る会を致しました。

 半生を賭して憲法と民主教育を守るために活躍されてきた長谷川さん。ほんとうにお世話になりました。お元気で。

5月8~9日 かなりしばらくぶりに、長野の実家に行ってきました。兄弟・姪や甥たちと楽しい歓談のひと時をすごしました。両親の仏前で夫が逝ったこと。長男が結婚して、6月には、また孫が生まれることなど報告。

翌日は、義兄とともに姉の墓参りと介護施設に入居している叔母を見舞い、この間の無沙汰を詫びました。

55日(水)子ども日 しばらく会えなかった孫たちと、東京サマーランドへ。

51日(日)メーデー いつもながら、私は、福井新区議らとともに、新宿コース終点近くの党本部前で、デモ行進のみなさんに連帯と激励の訴えをしていました。大田のみなさんは、激しい選挙戦後の勝利の余韻を漂わせて、晴れ晴れと元気な行進でした。

 今回は、大震災・福島原発事故後の被災者のみなさんへの救援激励支援のおもいを込めた集会となりました。

都知事選・区議選があり、しばらくお休みしました。

424の区議選では、日本共産党区議候補9名全員当選。前回よりも1名増を果たすことが当選できて、ほんとうによかったです。なによりも、実質私の後継者となる福井りょうじさんが、3回目の挑戦でみごと議席を得ることができました。まだ、30代です。これから存分に力を発揮して、地域・区民の声を区政に生かす仕事を期待したいと思います。

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かよこの活動日誌

313日(日)東北関東大地震の被災者のみなさんへ、いまわたしたちができることをという思いから、福井亮二・かち佳代子事務所として、「救援募金」に取り組みました。池上線

の御嶽山駅

で、1時間ほどでしたが、5万円ほどの募金が集まりました。幼児連れのお母さんや、青年たちも買い物帰りに、たくさんの方々から、寄せていただきました。ありがとうございました。

311日(金)本会議終了。日本共産党を代表して、私が討論を行いました。

12年間の石原都政の転換で、失われた福祉をとりもどし、都民が主人公の新しいと制実現のため、広範な都民のみなさんと、全力を尽くすとしめくくりました。昨日まで、逡巡していた石原知事が、4選に挑むと宣言しました。多いに論戦でたたかいましょう。

 午後246分、あの巨大地震が発生しました。はじめての経験です。宮城・福島を中心とした東北地方から関東にまで及ぶ、広範囲な大地震と・大津波の被害・惨状は信じられないような、破壊でしたね。都内の交通は全面マヒ。都内は帰宅難民であふれかえりました。都庁1階も解放して、約1000人程の方々が、ロビーの床や椅子にかけて、一夜を過されましたが、私もともに過し、翌朝2時間かけて、地下鉄を乗り継いで帰宅しました。

 多くの被災者・犠牲者のみなさまに心から、お見舞いもうしあげます。

3月4日(金)日本共産党都議団の組み換え予算の発表をしました。今回は、3%のくみかえで、145項目の都民要求に応えるものです。(記者会見の写真)

夜、菅谷郁恵区議地域の集いに参加、都政報告をおこないました。

 菅谷区議の子供たちへの溢れる思い、党員として、全国で頑張っている仲間への連帯と共感にささえられ、自分がこうしていること、区民の苦難を解決するために、なんとしても引き続き送り出してほしいという決意は、参加者の胸を打つものでした。

3月1~2日 環境建設委員会

 私は、京急の鉄道連続立体工事にお関連で、「京急蒲田駅通過問題」について、また、建設土木工事における低価格入札の改善について、東京のみどりの回復のため、都立公園の増設や、みどり保全緑地の公有化促進、また、太陽光発電の補助事業の継続をもとめて、質問しました。

2月27日(日)新婦人雪谷班のつどいに参加。手つくりのババロアケーキで楽しいダべリングをしました。

2月25日(金)日本共産党は清水秀子都議が質問しました。

 豊洲土壌の汚染問題について、これまで、東京都は不透水層は汚染を通さないといってきたのですが、同じ東京ガス田町工場跡地では、不透水層の下15m程度まで、シルト層や粘土層があり、そこからベンゼンやシアンが検出されていることを、しめして追及し、とうとう「不透水層が汚染を透さないとはいっていない」と答弁しました。これまでの見解を覆すものです。ならば、最初から、すべてをやりなおすべきだと強調しました。

2月24日(木)日本共産党都議団として、朝鮮学校への補助金を速やかに執行することを、石原知事に申し入れました。総務部長が対応しました。

2月23日(水)予算特別委員会 日本共産党は吉田都議が総括質疑をおこないました。

 遅れている高齢福祉費のなかでも、とりわけ介護基盤整備はのきなみ47位という、憂うべき実態であることを明らかにしました。知事はこの実態の認識を問われて、答弁に立てませんでした。

 また、行政としてやるべきでない水ビジネスに乗り出そうとしていることの危険性や、そのことがさらに水格差を生み、世界各地で問題になっている実態をどうおもうのかと問われて、知事は「知らない」とヤジで応酬しました。こんな認識で、儲けを目当てに行政が手をだすなど、ゆるされるものではありません。

2月20日(日)池上梅園にて、Mさんたちの茶会が開かれ、参加しました。昨年の今頃は梅がほぼ満開だったのですが、今年はすこし、遅れているようです。作法は全く無頓着なのですが、濃い茶とお薄両方頂き、楽しいひと時を過ごしました。

2月19日(土)産業人の後援会のみなさんが、中小企業シンポジュームを開き、笠井あきら衆議員とともに、参加しました。同友会や個人業の方々の集まりでしたが、現場の声として苦しい営業実態や公共事業における低価格入札で、現場の労働者が死活問題になっているなどの声が切々とはなされました。

2月15日(火)~17日(木)本会議、代表・一般質問がおこなわれました。

日本共産党は大山とも子都議が代表質問を行いました。

2月13日(日)江東区で築地問題のシンポジュウムがあり、都議団から私が参加しました。科学者会議の坂巻先生、畑先生などのお話を聞き、あらためて、豊洲の汚染、特に地下水汚染の浄化は1~2年などでは、不可能だという確信を得ました。開場は満杯で、熱気に満ちていました。

2月12日(土)生活と健康を守る会大田支部の新年会・総会に参加しました。みんな元気。その後、石川町のマンションで小集会に参加。夜は、希望が丘商店街の1班会の新年会に参加しました。商店は夜8時まで営業しているので、その後の開会となりますが、みんな、なごやかに交流し、ここで元気をつけているのだなとおもいます。

2月11日(金)今日は、朝から雪で、寒い。

 午後から、大田区高齢者集会が開かれ、参加しました。頂いた分厚い資料は大田区内の生活実態がよくわかるとても参考になるものでした。区内人口の2割を越える高齢者のパワーも力強いものがありました。

2月9日(水)大田区私立幼稚園連合会の新年会に参加しました。不況と少子化のなかで、どこの幼稚園の運営も困難をかかえているようです。テーブルをまわり、あいさつすると「期待しています」という声が、あっちこっちからかかりました。

2月8日(火)第1回定例議会の開催

 石原知事の40分の所信表明ありました。今年は知事選の年。石原知事の去就はいまだこんとんとしています。

2月6日(日)大田民商婦人部の新年会に佐藤伸区議とともに、参加しました。商法56条の撤廃運動に頑張っているみなさんの笑顔がとても、生き生きしていました。パワーをもらいました。

2月5日(土)鵜木診療所・保健生協のみなさんの「新春のつどい」に和田区議とともに参加しました。鵜木診療所ができてから、20年。当時は診療所だけでしたが、今日、薬局・訪問看護ステーション・訪問介護ステーションなど、医療介護分野が大きく広がっていることを、あらためて、感動しました。地域のみなさんに支えられてここまで来たんですね。みなさん、これからもよろしくお願いします。

 

2月4日(金) 保育後援会「野の花の会」のつどいがあり、参加しました。小池あきらさんの政府が検討している保育制度の新システムについてのお話があり、区議団からも何名か参加しました。さすが、保育後援会だけあって、思考を凝らしたたのしいものでした。小池さんの話も、わかりやすく、小池節の健在さをしめすものでした。

2月2日(水)大田区在日朝鮮人協会による「朝日新春のつどい」に参加しました。今回は、とりわけ、朝鮮学校への補助金の申請さえ、東京都が受け付けないという、異常な事態のなかでおこなわれました。

 冒頭、高校生たちによる、構成詩で訴えがあり、「なぜ、わたしたちだけが差別されなければならないのか」と切々とまた怒りをこめての訴えに、胸が打たれました。外国人の子供たちの教育を保障する責任は、その国であり、地方行政にあります。

 この間、北朝鮮による韓国のミョンビョン島への砲撃など、断じて許されない行為がありましたが、そのことと、こどもたちへの教育保障は区別すべきです。

 都議会で、民主党議員から「来年度予算の執行は検討すべき・・・」という発言がありましたが、そうだとしても、今年度の予算はすでに議会承認をうけているものであり、執行するのが当然です。

 石原知事は、議会の意見をきかなければ、執行しないといっているのは、筋違いです。速やかな執行を行うよう、あらゆる努力をしなければとおもっています。

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