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7月7日(木) 今日は七夕ですが、生憎曇り空。天の川も織姫も彦星もみられませんでした。このところ、暑い日が続いており、熱中症も昨年の3倍だとか。この先が思いやられます。東電の電力不足の宣伝と節電強化が、加速させているのではないでしょうか。

 私のふるさと、長野では、開発がすすみ、かつての田んぼ地帯は住宅街に変貌しました。私がこどもの頃は、川原でほたる取りなどしたものですが、すっかり蛍の姿が見られなくなって、半世紀近くになりますが、最近、ビオトープ活動が活発になり、蛍を生育させ観察する会ができたとか、兄たちが一生懸命取り組んでいるということを聞き、うれしくなりました。

 自然を破壊してきた人間の手で、今再び自然を甦らそうとする取り組み、応援したいとおもいます。

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72日(土) 原発ゼロをめざす集会が、明治公園であり、参加しました。

私は、午前中「日本共産党」ブースで、笠井あきら衆議員とともに、都議団の放射線量調査の取り組みと結果に対する反響、都政を動かした経緯について、報告しました。

 これを契機に、原発をゼロをめざし、新しいエネルギー政策への転換を求める運動を多いに繰り広げたいとおもいます。

                                              

7月1日(金) 定例会最終日

世の中、何が起こるかわかりません。今朝未明、樺山議員(自民)が亡くなりました。真相は不明です。立場はちがっても、とても人間性豊かなひとでした。残念です。ご冥福をお祈りします。

 そこで、議会の力関係が逆転です。そのため、「エネルギー条例」と「新銀行東京」「築地市場」の両特別委員会の存続が、62対62の可否同数となり、議長裁定で可決となったのです。

 これが、今回の第2回定例議会の顛末でした。わたしは代表質問に臨むにあたり、さまざまな調査や体験をすることができ、充実した1ヶ月間でした。

6月30日(木) 保険医療公社の評議員会

昨年の決算について、私は反対しました。理由は、昨年10月から分娩費用を値上げしたからです。産科医師の社会的評価を上げるという理由ですが、公社や都立病院は民間病院とは違う公共に資する責務があります。医師の社会的評価とは別問題だと意見をのべておきました。

629日(水) 環境・建設委員会 決定

私は民主党提案の「エネルギー条例」については、基本的には賛成ですが、不十分な点について、指摘する意見を述べました。委員会では、7対6で成立しました。本会議の採決では、否決される公算でしたが・・・。

628日(火) 環境・建設委員会            

 私は、危険な原発からの脱却と再生可能エネルギーの推進で質疑しました。都は今回の補正予算で、一旦廃止した太陽光発電への助成制度を復活しました。前回とほぼ同じ条件です。2年間で、39000件をめざすとしています。前回は目標の半分に満たないで終了してしまったのですが、今回も同じでは、目標達成はおぼつかないものです。やはり初期投資の負担を抜本的に軽減するなどの支援が必要だと求めました。また、多摩の間伐材をいかした、木質バイオマスエネルギーや、未利用エネルギーの創出を促進するよう求めました。

625日(日) 城南保険生協の総会に参加 あいさつ

622日(金) 第2回定例議会 代表質問に、日本共産党は私がたちました。

 詳しい内容は都議団のホームページを参照してください。

21分間に、この間の調査被災地での体験もふくめ語り、原発に対する知事の認識を問い、エネルギー政策の転換と、都の防災計画の抜本的見直しを求めました。

知事はあの原発事故はこれまで、天災だ。といってきたのですが、ついに「人災だ」と認めざるを得ませんでした。しかし、原発推進の姿勢が変わったわけではありません。

私は、再質問で原発が如何に技術的に未完成で、危険であるかという認識を再度問いつめたのですが、知事は答弁できませんでした。

震災復旧支援のための1300億円の補正予算は、まだまだ不十分ですが、そのなかでも、都の放射線量測定機器の拡充など、一定の前進を見出すことができたのは、都民との運動の成果です。

622日(水) 私たちがこの間、城南島・葛西・新河岸のスラッジプラントの放射線量調査をしてきた結果を、下水道局に申し入れを行いました。

内容は、焼却灰の調査をすること。作業員の健康管理。周辺への影響をふくめ、よりきめ細かく、放射線量調査を行い、公表することなどです。

下水道局長は「できることはすべて行い、公表していく」と答えました。

619日(日) 東京腎臓病協議会の総会に来賓として、参加あいさつをしました。各党勢ぞろい、国会議員もくるという盛況ぶりでした。関係者の皆さんのご努力と期待のあらわれでしょう。

6月17日(金)            第2回定例議会で、知事の所信表明がありました。

 4月の都知事選後、はじめての議会で、4選を果たしてた石原知事の都政に臨む決意は如何に。議会も、都民も関心を寄せていたことと思います。

 しかし、「大震災にひるむことなく、必要な幹線道路の推進・開発に邁進する・・」といい、「国難のなかで、夢と希望を持ち続けることが重要」として、2020年オリンピック招致に意気込みを見せたことにがおどろきました。

 あいかわらず、被災住民や都民の生活実態とはかけ離れたところで、都政を運営しようとしている姿が浮き彫りになりました。

 午後4時、放射線濃度が高いと報道のあった「城南島スラッジプラント」に、同僚議員とともに、出向き実際測定をさせていただきました。現在23区内のスラッジはすべて、ここに集約し、混煉灰にして、中央防波堤の最終処分場に埋め立てているとのことです。混煉灰の近くでは、やはりやや高めの数値でしたが、周辺地域では影響があるとはいえない状況でした。このときは焼却灰の放射線濃度は測っていないとのことでした。

6月11日~12日 大田の共産党ボランテア支援活動40名の部隊に急遽、参加させていただきました。

行き先は石巻の党救援センターです。朝720分の新幹線に乗り、それから、車で1時間。

11時半からの開始に滑り込みセーフ。目的地は、仮設住宅地の一角で、「野菜肉うどん」の炊き出しと、タオル、お茶、石鹸などの物資の配布と生活相談・血圧測定・マッサージなどの提供でした。小雨模様でしたが、前日にお知らせしておいたこともあり、260人の方々に提供することができました。

 私も一応、看護師資格をいかして、血圧測定をしながら、被災者の方々から、お話を伺いました。それは、想像を超える過酷な体験であり、避難生活の厳しさでした。皆口々に「全部流されました」「身内や隣人を亡くしました」「支援金も義捐金もいまだとどいていない」というのです。

 いくつもの避難所を転々として、やっと仮設にはいれたけれど、この先どうなるんだろうという不安が漂っていました。まだまだ、引き続きの長い支援が必要だと実感しました。

 午後は、救援センターで、被災地の全体像のレクチャーを受け、実際に被害状況を車で視察しました。今日はちょうど被災から3ヶ月目にあたり、2時46分には、一斉に亡くなられた方々へのご冥福を祈りました。

 かつての賑わいのあった石巻メインストリートは、津波に襲われ、灰色の街と化し、痛ましい姿に変わっていました。

 海岸に近づくにつれ、その爪あとの風景から、津波の脅威を感じずにはいられませんでした。すべてを呑み込み、破壊尽くされた街・・・。このどん底から立ち上がるためには、国の総力をあげての、支援・復旧・復興が必要だということと、被災者の願いや声に応えての血の通った支援が、圧倒的に不足していることを、実感しました。

 翌日は、別の場所で、支援物資の大バザールと、前日と同様の取り組みでした。11時半に開始して、40分で完了。800人の方々が並んでくれました。ほんとうに、なにもかも足りないのです。

 私は飛び入りでしたが、2日間の成功に至るまでの準備と、現地での受け入れに、さまざまなご尽力を頂いた、実行委員の皆さんに感謝しつつ、石巻を後にしました。

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